社長ブログ 社長が日々考えていることを思いついたときに・・・

想う、感じる、伝える。-⑫

-エピローグ-
  
近年、感性や五感の研究、またその産業界や情報伝達手段への応用の試みが盛んになっている。
 
…ハイビジョンで全天周に映しだされるアルプスの風景。グリンデルワルトのホテルのバルコニーを模したウッドチェアに座れば、温度も湿度も現地の初夏と同等にコントロールされた空気の中を、時折、万年雪の表面を滑り落ちた爽涼な風が通り抜ける。山麓の牧草地帯には白い小さな花が無数に咲き誇り、派手なウエアーのハイカーが行き交う。無心に草を食む牛たちのけだるいカウベルの音を聞きながら、少し強めに冷やした白ワインでのどを潤す…。
  
これぐらいのバーチャルリアリティーを体験することは、今の技術をもってすれば何の問題もない。東京に居ながらにして、五感のすべてで「スイスアルプスの気分」を享受することができる。
  
情報量という意味合いで、これとは対極にあるのが俳句ではないだろうか。俳句はわずか17の音で作者の感性を表現し、伝える。俳句の世界には「客観写生」と言う考え方があるそうだ。
   
「…即ち句の表面は簡単な叙景叙事であるが、味わえば味わうほど内部に複雑な光景なり情景なりが満たされていると言うような句がいいと思うのである…」
  
高浜虚子が弟子に送った書簡の一節とのことだが、俳句の限られた言葉の数では、主観を述べる余地がほとんどないため、事象をできるだけ客観的に表現して、その裏に潜ませた主観を読み取ってもらうという考え方だ。もちろん、客観的といってもありのままを描写するわけではない。そこには加除やデフォルメといったある種の嘘もあるわけで、作者の主観が最も効果的に表現できる17の音が巧みに編まれる。
  
もっともこちらの方は作者、受け手双方に一定の才能が必要であり、あまり一般的とは言えないが。
  
「ふるいけや かわずとびこむ みずのおと」
  
芭蕉がすでにこの概念を持っていたかどうかは知らないが、彼はこの簡単な叙景叙事によって、およそ生命を感じない静寂の世界の中で、思いがけない小動物の生命活動を知った驚きや畏敬の念を表している(らしい)。
 
少し極端な例を引いたがどちらが良し悪しということではない。
  
前者の体験でスイス旅行に代わる満足が得られるかというと、それは甚だ疑問だし、後者の句によって受け手が均一同等に感性を揺さぶられるかというとそれもあり得ない。さらには、後者の句とまったく同じシチュエーションをバーチャルリアリティーで体験しても、この17の音から得る感銘に勝ることはないだろう。
  
イメージを膨らませる。思い描く。外からの刺激や情報を敏感に感じ取る。そしてそれらを上手に表現し伝達する。そんなことを脈絡もなく綴ってきたが、どうやら先人たちの悩みのおさらいをしたに過ぎなかったようだ。貴重な紙面を一年間も無駄遣いしてしまったことを、読者並びにピーオーピーの皆さんにお詫び申し上げて筆を置きたい。
  
= ピー・オー・ピー「見本市展示会通信」’09年6月1日号掲載 =
  
展示会コミュニケーションサイト 「展コミ」
http://www.eventbiz.net/

想う、感じる、伝える。-⑪

-嗅覚-
 
人は嗅覚によって時空を瞬間移動することがある。
 
ブルースト効果という言葉をご存知だろうか。街を歩いているときに突然、昔行った温泉町にいるような錯覚に陥ったり、アイスクリームを食べたときにふと別れた恋人を思い出したりすることがある。あれのことである。あれは匂いによる作用が大きいという。
 
人の脳は、匂いを感じる部位と感情や記憶をつかさどる部位が隣接していて、嗅覚と感情や記憶とはかなり密接な関係にあるらしい。強く心に残っている事象が、同じような匂いを嗅ぐことによって突然呼び覚まされるのだ。
 
嗅覚にはこの鋭敏さとは裏腹な一面もある。それは、同じ匂いにはすぐ慣れてしまうことだ。映画館やTVの受像機から画面に合わせた匂いを人工的に発生させようという研究があるが、なかなかうまくいかないようだ。このような装置で同じ匂いを連続したり、少し間をおいて度重ねたりする場合は、発生する匂いをどんどん強くしていかないと効果がなくなるらしい。
 
しかしながら、この匂いに慣れるということもわれわれの精神面に大きな作用をもたらしていると思える。
 
たとえば知人の家を訪ねたとき、生け花の清々しい香りが漂っていても、何かよそよそしく落ち着かない。ホテルに泊まるより遠くてもわが家のほうが休まるのは、慣れた枕だけではなく、意識しないほどに慣れ親しんだ家族の匂いが、われわれに安息をもたらすのではないだろうか。
 
「非日常」「出会いの空間」を演出しているわれわれにとっても、匂いのもたらす効果は大いに興味があるところだ。
    
 
= ピー・オー・ピー「見本市展示会通信」’09年5月1日号掲載 =
 
展示会コミュニケーションサイト 「展コミ」
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想う、感じる、伝える。-⑩

-味覚-
 
生理学的に言うと、味覚には甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の五つの基本味があり、それらの配分加減で人はいろいろな味を感じているとのことだが、われわれが一般的に味について語る場合は、純粋にこの生理学的な要素だけではなく、味覚以外の他の四つの感覚や記憶まで加えた総合的な「味わい」の話をしている。特に温度や香りはその大きな要素だ。
 
そういう意味では五感全体の感覚であり、さらには個人的嗜好の差も非常に大きく、これを他人に言葉で伝えるということは甚だ心もとない、と言うより正確に伝わることなどありえないという確信に近い。
 
だいたい「辛い」と言っても、唐辛子とわさびの辛さの違いを端的に表現する言葉が見つからない。唐辛子はホットで、わさびはクールな辛さ。…端的には程遠いが、短く言おうとすればせいぜいこんなところか。それも相手が唐辛子やわさびを食したことがあるという前提での表現だ。一度も食したことのない人に、わさびのあの微妙な味わいを説明しようなんて挑戦心は毛頭起こらない。
 
しかしながらおいしい物は、教えたい、食べさせたい、聞きたい、食べてみたい、が人の常。
 
『スープはとんこつ醤油、こくがあるのに油が口に残らなくて割りとあっさり、味は少し薄めかな。麺は中細のちぢれ。卵の練りこみ具合が良く、これにスープが絡んでのど越しは最高。量はおおよそ180gでまあ普通、食べ終わるまでのびない。チャーシューはもちろん自家製、たっぷり厚切りだが歯の先でほろりと解ける。他の具はメンマと焼き海苔だけ。余分なものは一切ない。そうそう、きざみネギは好みの量を聞いてくれる、俺はいつも大盛り』  これだけ説明しても味は伝わらない。
 
もう面倒くさいから食べさせに連れて行く。「どうだ、旨いだろ」「なんか中途半端ね、こってりかあっさりかハッキリしてほしいわ。スープも少し温いし。私あんまり好きじゃない。遠くまでわざわざ来たのに」
 
「!?」
 
私にとって至高のラーメンは、彼女にはカップ麺より少しまし程度なのである。こんな徒労がいつも繰り返される。
  
 
= ピー・オー・ピー「見本市展示会通信」’09年4月1日号掲載 =
 
展示会コミュニケーションサイト 「展コミ」
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想う、感じる、伝える。-⑨

-第六感-

前章で背後の恐怖感のことに触れたが、背後で思いついた話をしてみたい。

静かな部屋のなかなどで突然背後に人の「気配」を感じることがある。そして実際に人がいることが多い。五感では解説しにくい感覚だがアレは何なのか。

われわれはこのような現象はすべて「第六感」か「超能力」で済ましているが、ちゃんと科学している人たちがいる。

それによれば、人は歩くたびに微弱な帯電と放電を繰り返していて、その度に電圧の変化を起こしている。そして人体には毛根のすぐ下あたりにその電圧差を感じ取れる器官があって、忍び寄る人の電圧差を「気配」として感じるらしい。

実験では、10人中7人が人工的に起こした人と同レベルの電圧差を感じ取り、「気配」と同じような感覚を感じたとのことだ。

犬はもっと凄い。飼い犬が主人の帰宅を遠くから察知して、玄関に出迎えに行く話しは良く聞くが、これも人の「気配」を感じ取っているのだという。ただ犬の場合は人の発生する電圧差ではなく、電磁波を感じ取るという。人は、先に説明した電圧差の発生と同時に微弱な電磁波も発生する。さらに、この電磁波には人によってわずかながらパターンの違いがあって、犬はこのパターンの違いまで感じ分けて、主人の気配を区別しているという。

ホンマカイナ?と思わないでもないが、一部の動物は地震や雷が発生する電磁波に反応することが確認されているとのことだ。
  
 
= ピー・オー・ピー「見本市展示会通信」’09年3月1日号掲載 =
 
展示会コミュニケーションサイト 「展コミ」
http://www.eventbiz.net/ 

想う、感じる、伝える。-⑧

-聴覚-

ずいぶん以前に、ある遊具メーカーと共同で音だけのお化け屋敷にトライしたことがある。一時は結構流行ったが今ではあまり見かけなくなってしまった。営業効率の問題もあるのか?

室内はストーリーに合わせたそれらしき内装が施してあるが、客が入場し着席すると一転暗闇となってヘッドホンからの音だけでストーリーが展開する。

背後に忍び寄る怪人の足音。息遣いが耳にかかるほどの近さで低く呟く。振り落とされる凶器の風切り音。特に背中側は人間とって一番無防備であり恐怖は倍化するらしい。人はある感覚機能が損なわれたり劣化したりすると、他の感覚が鋭くなるということは良く聞く。音以外の情報がないと神経が集中して実に臨場感が溢れる。空間の広がりや、対象との距離感まで精度高く感じ取れる。

これもかなり以前のことだが、ある実験的なイベントの話を聞いたことがある。真っ暗闇の空間の中に簡単な迷路(順路)をつくり、来場者にはまったく視覚を奪われた状態で何とか出口にたどり着いてもらうという企画だ。途中には軽飲食のコーナーも在ったようだ。

視覚を遮断して、聴覚、触覚、嗅覚、味覚だけで課題をクリアするのだが、ルールがひとつだけあって、グループでの纏まった参加は禁止される。連れ立ってきた人はばらばらにされて時間差で入場する。つまり自分の近辺は見ず知らずの人ばかりという状態である。

手探りで壁を伝い、前後の人の気配を窺い、声を掛け合って出口を目指すのだが、このような状況下では、すごい速さでコミュニケーションが進むらしい。すぐに前後何人かで手を繋ぎあって協力するようになる。顔も見えない同士が自己紹介まで済ませて、ゴールに至る頃には幾つもの濃密なグループが生まれるとのことだった。

ヨーロッパでは数年前から「暗闇レストラン」なるものがあるらしいが、最近日本でも聞くようになった。私も一度トライしてみたいと思う。

聴覚の入り口から入ったが、出口では視覚と味覚になってしまったようだ。
  
 
= ピー・オー・ピー「見本市展示会通信」’09年2月1日号掲載 =
 
展示会コミュニケーションサイト 「展コミ」
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