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      <title>blog</title>
      <link>http://www.murayama.co.jp/blog/</link>
      <description>社長ブログ</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>春節前の上海</title>
         <description>先週上海に行って来た。
 
村山(上海)の期末期初関連の用件であったが、春節前で一層賑やかな所と、やや落ち着いた街がはっきり分かれていたようである。
 
16日は社員と上海料理の夕食を共にしたが、レストランは地元ファミリーのパーティーでどこも大賑わい。ファミリーと言っても日本的な家庭単位ではなく一族である。
　
数フロアーあるかなり大きな店のテーブルはすべて満席。中には15人程囲める円卓を複数使っているファミリーもある。
 
みんな良く食べ良く飲む、そして良くお喋りをする。あの活気溢れる喧騒に紛れると、こちらも気分がハイになってついつい度を越してしまう。
　
翌17日はきれいな青空を見る事が出来た。
上海ではこの数日前まで厳しい寒さが続いたようだが、この日はたまたまコートが邪魔になるくらいの陽気で清々しかった。
 
　
今週はムラヤマの賀詞交歓会が東京、大阪、名古屋で開かれる。これでほぼ新年会も終了。
今朝、定期的な血液検査の採血を行ったが、さて連日のアルコール漬けの結果は？
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">所感</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 23 Jan 2012 00:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>新年のご挨拶</title>
         <description>皆さん明けましておめでとうございます。
　
震災地の皆さんのことや、我々を取り巻く社会的、経済的状況を思うと、安易におめでとうと言うことを躊躇しますが、新年を節目に気分を切り替え、新たな活力を自ら感じてまた一年頑張りたいと思います。
　　
当社は今「感動コミュニケーション企業」を目指しています。
皆さんのコミュニケーションがより豊かで、より活性化するように更に積極的に活動をしていきます。
　
また、新しいコミュニケーションの仕組みや、カタチもどんどん提案していきたいと思います。
そしてそこには必ず「感動」が生まれ、皆さんにより大きな満足が提供できるように絶えず工夫を重ねていきたいと思います。
　
今年も一年よろしくお願いいたします。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">所感</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 01 Jan 2012 00:00:00 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>一年を振り返って</title>
         <description>残すところ数日。まさにあっと言う間に過ぎた一年でした。
 
震災の後はしばらく、朝、新聞を開くのもＴＶを点けるのも気が重い日が続きました。
被災された方々には年の瀬を迎えてもまだまだ厳しい状況のことと思います。改めてお見舞い申し上げます。
 
今更ですが今年は卯年、でした。私は還暦になりました。
お正月には、あーそういう年齢になったんだ、と改めて思ってみたりしましたが、その後特に何もありません。普段は意識することも全くありません。
 
若い時（今でも若いと思っているので、「昔」の方が適当？）に還暦世代の人たちを見ると、経験豊富な人格者で尊厳さえ感じましたが、いざ自分がその世代を迎えると、とてもそんな自覚はありません。いつになっても風格の出ない、ただのやんちゃな年寄りに見られているのだろうと思います。
 
今年、当社サッカー部は協同組合のフットサル大会で、万年シルバーコレクターを脱し念願の初優勝を果たしました。予選の楽勝ムードの試合では、チョッとの間選手としてプレーしてみたいとも思いました。さすがにこれは権力濫用となるので自嘲しましたが。
 
こんな私ですが、今年も多くの皆さんに大変お世話になりました。
思い出に残る仕事も、感動溢れる仕事もたくさんさせて頂きました。社員ともども改めてお礼申し上げます。一年間ありがとうございました。
　
来年も多くの感動創出に向けて頑張ります。
よろしくお願い致します。
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">所感</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 28 Dec 2011 00:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>秋の匂い</title>
         <description>出雲の大学駅伝も箱根駅伝の予選会も既に終わった。
今日は組合の忘年会、新年会の相談をした。
世間は一気に冬モードであるが、今年はなかなか秋の匂いを感じない。
 
朝、表に出るにも何か１枚羽織って、アルミの新聞受けの冷えた扉を指先で摘んで開けて新聞を抜き出す。
空気は夜露を含んでまだ少し重いが、冷たく引き締まった緊張感を生んでいる。やがて軽く爽やかに変わっていく予感の中に、落ち葉と先程通ったバイクの煙の臭いが微かにする。静かな秋の朝の匂い。
 
こんな匂いを今年はまだ感じない。
休日は半袖のＴシャツで過ごせるし、会社ではまだクールビズでも蒸し暑く感じる日が続く。
 
今年は空気がなかなか秋にならない。
１０月２５日。
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         <link>http://www.murayama.co.jp/blog/2011/10/post_62.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">季節</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 25 Oct 2011 00:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>老夫婦</title>
         <description>あっという間に8月も過ぎ、日も少しづつ短くなってはいるが残暑はまだまだ厳しい。　
帰りの駅のホームで出会った光景から。
　
次の急行を待つ列の前の方に、品の良い老夫妻が並んでいる。二人とも70歳を少し過ぎた頃か。男性は足が悪いのかステッキを突いている。女性の方は騒々しいホームで戸惑うこともなく電車には乗り慣れているようだ。
　
家に帰るところか、おそらくもう少し空いている時間に乗る予定が、何かの都合で通勤ラッシュにぶつかってしまったのだろう。
　
ホームで先に発車を待っている車両の優先席に行って、優先権を主張することもできるがあえて並んでいると見える。
この時間の急行は、遠距離通勤のサラリーマンやOLで大変混んでいる。一つ電車を見送って、並んでやっと座った人に席を譲ってもらうのも忍びないし、まだ世の中に甘えなくとも十分やっていけるというプライドなのか。
　
間もなくホームに電車が滑り込んでドアが開いた。
普段は脱兎のごとく飛び込む人たちだが、さすがにこの二人をかき分けて前を侵す人はいなかった。
二人は並んで座れた。
　
私は惜しくも立って帰ることになった。
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         <link>http://www.murayama.co.jp/blog/2011/09/8.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">所感</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 12 Sep 2011 00:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>桜を愛でる会</title>
         <description><![CDATA[<strong><strong>夢であって欲しいと思いながらもまた重い現実の日が明けた。
桜は何事も無かったように咲き揃ったが、晴れやかに見上げないうちに散り始めている。
新聞もテレビのニュースもあまり見る気になれない。
　 
こんな気持ちが蔓延することが、今一番良くないことだろう。
　 
4月8日の夕方から日本展示会協会の「桜を愛でる会」が開催された。
会員企業の若手が集まり、コミュニケーションを深め、業界の未来を語るのが趣旨である。
今年で2回目であるが、開催について議論はあったものの、こういう時だからこそ開催すべきだとの意見が圧倒的に強かった。
　 
展示会業界は、展示会場により多くの人を集め、そこで商品や、技術、サービス、情報を実際に見て、聞いて、確かめて商談へとつなげる事業である。人が動かなければ成り立たない。
　　
地震直後の混乱で、首都圏の展示会のほとんどが中止を余儀なくされ大きな影響を受けた。
今は徐々に落ち着き、大型展示会も開催され始めたが、まだな十分な活気は取り戻していない。
こんな時だからこそ自らどんどん動こうということだ。
　　
会場の八方園は昨年を上回る若い参加者で活気づいた。
そこここで名刺交換や情報交換が始まり、センターマイクでの自社PRや自己紹介も皆驚くほど上手にこなす。
　　
盛会の内にやがてお開き。
私はこの催しの委員をしている関係で、締めの挨拶を依頼された。
通常なら一本締め「いよーっ、ポン」でお開きであるが、今日は閉会ではなく、スタートにしようと提案した。
　　
今日の参加者が率先して動き、業界に活気を取り戻す。そして、もっとオーバーに言えば日本に“元気”を取り戻す。そのために今からスタートする。
　　　
一本の拍手に掛け声を添えて、全員で「よーい、ドン」</strong></strong>]]></description>
         <link>http://www.murayama.co.jp/blog/2011/04/post_60.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">元気</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 14 Apr 2011 00:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>富士を愛でる</title>
         <description>冬は私の住む所からでも富士山が良く見える季節だ。
 
近所の坂道を登り切ると、突然、秩父連山越しに真っ白な富士山が思いもよらぬ大きさで現れる。
足を止めて見入ると、急に自分が詩人になったような錯覚に陥ったり、富士を愛でる感性を持つ日本人に生まれたことに感謝したり自負したりする。
 
この光景を何とか端的に詩的に表現してみたいと思うが、もとよりそんな才能はない。才ある人の表現を借りようと調べてみた。富士を詠んだ俳句は無数あるが、なかなかピッタリのものはない。正確には見つからなかったと言うべきか。
 
「はっきりと　富士の見えたる　寒さ哉」
これは正岡子規の句である。寒くなるとやや遠方からでも富士山が良く見える状況を表しているが、少し違う。
 
「冬晴れの硬い空気の中の富士」
岸田祐子さんという方のブログから拝借した。こちらの方が私の感じる冬の空気と富士山には近い。
 
「寒けれど富士見る旅は羨まし」
これも子規だ。
 
私もゆっくりと富士見る旅に出てみたいと思うが、なかなか実現しない。
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         <link>http://www.murayama.co.jp/blog/2011/03/post_59.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">所感</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 01 Mar 2011 00:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「満天の星」</title>
         <description>NHKのラジオで「満天の星」についての番組をやっていた。
　
海外に在住している聴取者に「あなたの住んでいる所で満天の星が見えますか」という問いかけをして、これに答えてもらう内容だ。
「満天の星」・・・久しぶりに耳にしたが実にいい響きの言葉だ。
 
私が小学校低学年の頃まで、私の田舎ではTVはもとより、家庭の電気照明さえも十分ではなかった。ましてや街灯など。
　
冬の陽は早落ちて月も無く外は真の闇。空っ風はまだ止んでいない。こんな晩に限ってお使いに出される。祖父の晩酌の焼酎を２合、ガラスの空き瓶を抱えて近所の酒屋で量り売りを買ってくる。
　
今思えば酒屋までわずかな距離であったが夜道が怖い。道程の半分ほどは両側竹藪。一気に駆け出すがいつも後ろに何かの気配。寒さと怖さで全身鳥肌。おばちゃんが酒を量っている間に息を整えて帰りもまた一気。入口の引き戸を開けて家に飛び込む。酒瓶を渡し、開けっ放しの戸を閉めに戻る。戸の隙間から身を半分出して空を仰ぐ。と、これが「満天の星」。実際には軒越しの「半天」であったが。
　
明るく耀く無数の星の背景に、薄い雲のようにうねって淡く光を放つ天の川。吸い込まれるような深さと拡がりだ。さっきまで真っ暗と思っていた空がこんなに明るいとは。
その後も、同じ田舎や観光地の高原で何度か「満天の星」を実感したが、最近では全くない。
　
埼玉の奥深く、夜になれば街の灯も疎らな所に住んでいるが、数えるほどの星しか見えない。だいたい空を見上げることすら無くなっている。
　
ラジオの視聴者によれば、やはり南米や東ヨーロッパの都市部を離れた高地で良く見えるという声が多かった。
　
日本にもまだまだそういう場所はたくさんあるだろう。360度地平線の見える高原に寝そべって「満々天の星」を見てみたい。
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         <link>http://www.murayama.co.jp/blog/2011/02/post_58.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">所感</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 21 Feb 2011 00:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ブログ再開 !!　　</title>
         <description><![CDATA[長友がディフェンダーをワンフェイントでかわしてセンタリングを上げる。画面が切り替わる。何とゴールほぼ正面にどフリーの日本選手。誰かは判別つかないがダイレクトボレーの体勢。
　
「おお！チャンス。だがまずい、フリー過ぎる、硬くなるなよ。ゴールバーの上か。キーパー正面か。ボテボテか。入れてくれ」
李がダイレクトボレーを振りぬくまでに、多くの人がこう思ったはずだ。もっと多くのことを思った人もいるだろう。
 　
人は不思議だ。緊迫した状況や緊急時には、眼前で起きている事象が、まるでスローモーションのようにゆっくりと流れ、その間冷静にその事象を分析し、その後の展開をイメージする。普段とは違いそういう状況においては、短時間に多くのことに思いを巡らすため、時間の流れ方が遅く感じるのだろうか。
　
次の瞬間ボールはゴール左隅のネットを揺さぶった。
「やった！」大会屈指の名ゴールキーパーも一歩も動けない。こんなきれいなゴールシーンが待っているなんて。
　
残り10分少々。早く、早く、早く終われ。準決勝の韓国戦の轍を踏むなよ。
長い、長い10分間が過ぎてやっとタイムアップ。
サムライブルー、感動をありがとう。
　
･･･とはいうものの、いつもならぼちぼち起き出す頃まで夜通し興奮したテレビ観戦、体内時計がなかなか日付の変更をしない。結局日曜日は、一日中だらだらとパジャマのまま過ごしてしまうこととなった。日曜日で良かったが!?

次のサムライブルーの試合は3月末の <a href="http://samuraiblue.jp/"><strong>キリンチャレンジカップ2011</strong> </a>。今から楽しみでたまらない。
　
　
しばらくぶりの更新、ブログを再開します。今後は私の相棒キャラクター(?)も時々登場し、雑学、珍問、B級グルメ 等々･･･、バラエティーに富んだ話をお伝えする予定。

お楽しみに。]]></description>
         <link>http://www.murayama.co.jp/blog/2011/02/post_57.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">感動</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 14 Feb 2011 00:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>想う、感じる、伝える。－⑫</title>
         <description><![CDATA[－エピローグ－
　　
近年、感性や五感の研究、またその産業界や情報伝達手段への応用の試みが盛んになっている。 
　
…ハイビジョンで全天周に映しだされるアルプスの風景。グリンデルワルトのホテルのバルコニーを模したウッドチェアに座れば、温度も湿度も現地の初夏と同等にコントロールされた空気の中を、時折、万年雪の表面を滑り落ちた爽涼な風が通り抜ける。山麓の牧草地帯には白い小さな花が無数に咲き誇り、派手なウエアーのハイカーが行き交う。無心に草を食む牛たちのけだるいカウベルの音を聞きながら、少し強めに冷やした白ワインでのどを潤す…。
　　
これぐらいのバーチャルリアリティーを体験することは、今の技術をもってすれば何の問題もない。東京に居ながらにして、五感のすべてで「スイスアルプスの気分」を享受することができる。
　　
情報量という意味合いで、これとは対極にあるのが俳句ではないだろうか。俳句はわずか17の音で作者の感性を表現し、伝える。俳句の世界には「客観写生」と言う考え方があるそうだ。
　　　
「…即ち句の表面は簡単な叙景叙事であるが、味わえば味わうほど内部に複雑な光景なり情景なりが満たされていると言うような句がいいと思うのである…」
　　
高浜虚子が弟子に送った書簡の一節とのことだが、俳句の限られた言葉の数では、主観を述べる余地がほとんどないため、事象をできるだけ客観的に表現して、その裏に潜ませた主観を読み取ってもらうという考え方だ。もちろん、客観的といってもありのままを描写するわけではない。そこには加除やデフォルメといったある種の嘘もあるわけで、作者の主観が最も効果的に表現できる17の音が巧みに編まれる。
　　
もっともこちらの方は作者、受け手双方に一定の才能が必要であり、あまり一般的とは言えないが。
　　
「ふるいけや　かわずとびこむ　みずのおと」
　　
芭蕉がすでにこの概念を持っていたかどうかは知らないが、彼はこの簡単な叙景叙事によって、およそ生命を感じない静寂の世界の中で、思いがけない小動物の生命活動を知った驚きや畏敬の念を表している（らしい）。
　
少し極端な例を引いたがどちらが良し悪しということではない。
　　
前者の体験でスイス旅行に代わる満足が得られるかというと、それは甚だ疑問だし、後者の句によって受け手が均一同等に感性を揺さぶられるかというとそれもあり得ない。さらには、後者の句とまったく同じシチュエーションをバーチャルリアリティーで体験しても、この17の音から得る感銘に勝ることはないだろう。
　　
イメージを膨らませる。思い描く。外からの刺激や情報を敏感に感じ取る。そしてそれらを上手に表現し伝達する。そんなことを脈絡もなく綴ってきたが、どうやら先人たちの悩みのおさらいをしたに過ぎなかったようだ。貴重な紙面を一年間も無駄遣いしてしまったことを、読者並びにピーオーピーの皆さんにお詫び申し上げて筆を置きたい。
　　
＝ ピー･オー･ピー「見本市展示会通信」’０９年６月１日号掲載 ＝
　　
展示会コミュニケーションサイト 「展コミ」
<a href="http://www.eventbiz.net/">http://www.eventbiz.net/</a>]]></description>
         <link>http://www.murayama.co.jp/blog/2010/04/post_56.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">想う、感じる、伝える。</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 16 Apr 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>想う、感じる、伝える。－⑪</title>
         <description><![CDATA[－嗅覚－
　
人は嗅覚によって時空を瞬間移動することがある。
 　
ブルースト効果という言葉をご存知だろうか。街を歩いているときに突然、昔行った温泉町にいるような錯覚に陥ったり、アイスクリームを食べたときにふと別れた恋人を思い出したりすることがある。あれのことである。あれは匂いによる作用が大きいという。
　
人の脳は、匂いを感じる部位と感情や記憶をつかさどる部位が隣接していて、嗅覚と感情や記憶とはかなり密接な関係にあるらしい。強く心に残っている事象が、同じような匂いを嗅ぐことによって突然呼び覚まされるのだ。
　
嗅覚にはこの鋭敏さとは裏腹な一面もある。それは、同じ匂いにはすぐ慣れてしまうことだ。映画館やＴＶの受像機から画面に合わせた匂いを人工的に発生させようという研究があるが、なかなかうまくいかないようだ。このような装置で同じ匂いを連続したり、少し間をおいて度重ねたりする場合は、発生する匂いをどんどん強くしていかないと効果がなくなるらしい。
　
しかしながら、この匂いに慣れるということもわれわれの精神面に大きな作用をもたらしていると思える。
　
たとえば知人の家を訪ねたとき、生け花の清々しい香りが漂っていても、何かよそよそしく落ち着かない。ホテルに泊まるより遠くてもわが家のほうが休まるのは、慣れた枕だけではなく、意識しないほどに慣れ親しんだ家族の匂いが、われわれに安息をもたらすのではないだろうか。
　
「非日常」「出会いの空間」を演出しているわれわれにとっても、匂いのもたらす効果は大いに興味があるところだ。 
　 　　
　
＝ ピー･オー･ピー「見本市展示会通信」’０９年５月１日号掲載 ＝
　
展示会コミュニケーションサイト 「展コミ」
<a href="http://www.eventbiz.net/">http://www.eventbiz.net/</a>
　
]]></description>
         <link>http://www.murayama.co.jp/blog/2010/03/post_55.html</link>
         <guid>http://www.murayama.co.jp/blog/2010/03/post_55.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">想う、感じる、伝える。</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 31 Mar 2010 00:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>想う、感じる、伝える。－⑩</title>
         <description><![CDATA[－味覚－
　
生理学的に言うと、味覚には甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の五つの基本味があり、それらの配分加減で人はいろいろな味を感じているとのことだが、われわれが一般的に味について語る場合は、純粋にこの生理学的な要素だけではなく、味覚以外の他の四つの感覚や記憶まで加えた総合的な「味わい」の話をしている。特に温度や香りはその大きな要素だ。
　
そういう意味では五感全体の感覚であり、さらには個人的嗜好の差も非常に大きく、これを他人に言葉で伝えるということは甚だ心もとない、と言うより正確に伝わることなどありえないという確信に近い。
　
だいたい「辛い」と言っても、唐辛子とわさびの辛さの違いを端的に表現する言葉が見つからない。唐辛子はホットで、わさびはクールな辛さ。…端的には程遠いが、短く言おうとすればせいぜいこんなところか。それも相手が唐辛子やわさびを食したことがあるという前提での表現だ。一度も食したことのない人に、わさびのあの微妙な味わいを説明しようなんて挑戦心は毛頭起こらない。
　
しかしながらおいしい物は、教えたい、食べさせたい、聞きたい、食べてみたい、が人の常。
　
『スープはとんこつ醤油、こくがあるのに油が口に残らなくて割りとあっさり、味は少し薄めかな。麺は中細のちぢれ。卵の練りこみ具合が良く、これにスープが絡んでのど越しは最高。量はおおよそ１８０ｇでまあ普通、食べ終わるまでのびない。チャーシューはもちろん自家製、たっぷり厚切りだが歯の先でほろりと解ける。他の具はメンマと焼き海苔だけ。余分なものは一切ない。そうそう、きざみネギは好みの量を聞いてくれる、俺はいつも大盛り』 　これだけ説明しても味は伝わらない。
　
もう面倒くさいから食べさせに連れて行く。「どうだ、旨いだろ」「なんか中途半端ね、こってりかあっさりかハッキリしてほしいわ。スープも少し温いし。私あんまり好きじゃない。遠くまでわざわざ来たのに」
　
「!?」
　
私にとって至高のラーメンは、彼女にはカップ麺より少しまし程度なのである。こんな徒労がいつも繰り返される。
 　　
　
＝ ピー･オー･ピー「見本市展示会通信」’０９年４月１日号掲載 ＝
　
展示会コミュニケーションサイト 「展コミ」
<a href="http://www.eventbiz.net/">http://www.eventbiz.net/</a>　
]]></description>
         <link>http://www.murayama.co.jp/blog/2009/12/post_54.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">想う、感じる、伝える。</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 23 Dec 2009 00:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>想う、感じる、伝える。－⑨</title>
         <description><![CDATA[－第六感－
 
前章で背後の恐怖感のことに触れたが、背後で思いついた話をしてみたい。
 
静かな部屋のなかなどで突然背後に人の「気配」を感じることがある。そして実際に人がいることが多い。五感では解説しにくい感覚だがアレは何なのか。
 
われわれはこのような現象はすべて「第六感」か「超能力」で済ましているが、ちゃんと科学している人たちがいる。
 
それによれば、人は歩くたびに微弱な帯電と放電を繰り返していて、その度に電圧の変化を起こしている。そして人体には毛根のすぐ下あたりにその電圧差を感じ取れる器官があって、忍び寄る人の電圧差を「気配」として感じるらしい。
 
実験では、10人中７人が人工的に起こした人と同レベルの電圧差を感じ取り、「気配」と同じような感覚を感じたとのことだ。
 
犬はもっと凄い。飼い犬が主人の帰宅を遠くから察知して、玄関に出迎えに行く話しは良く聞くが、これも人の「気配」を感じ取っているのだという。ただ犬の場合は人の発生する電圧差ではなく、電磁波を感じ取るという。人は、先に説明した電圧差の発生と同時に微弱な電磁波も発生する。さらに、この電磁波には人によってわずかながらパターンの違いがあって、犬はこのパターンの違いまで感じ分けて、主人の気配を区別しているという。
 
ホンマカイナ？と思わないでもないが、一部の動物は地震や雷が発生する電磁波に反応することが確認されているとのことだ。
　　
　
＝ ピー･オー･ピー「見本市展示会通信」’０９年３月１日号掲載 ＝
　
展示会コミュニケーションサイト 「展コミ」
<a href="http://www.eventbiz.net/">http://www.eventbiz.net/</a>　
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         <link>http://www.murayama.co.jp/blog/2009/10/post_53.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">想う、感じる、伝える。</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 22 Oct 2009 00:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>想う、感じる、伝える。－⑧</title>
         <description><![CDATA[－聴覚－
  
ずいぶん以前に、ある遊具メーカーと共同で音だけのお化け屋敷にトライしたことがある。一時は結構流行ったが今ではあまり見かけなくなってしまった。営業効率の問題もあるのか？
  
室内はストーリーに合わせたそれらしき内装が施してあるが、客が入場し着席すると一転暗闇となってヘッドホンからの音だけでストーリーが展開する。
  
背後に忍び寄る怪人の足音。息遣いが耳にかかるほどの近さで低く呟く。振り落とされる凶器の風切り音。特に背中側は人間とって一番無防備であり恐怖は倍化するらしい。人はある感覚機能が損なわれたり劣化したりすると、他の感覚が鋭くなるということは良く聞く。音以外の情報がないと神経が集中して実に臨場感が溢れる。空間の広がりや、対象との距離感まで精度高く感じ取れる。
  
これもかなり以前のことだが、ある実験的なイベントの話を聞いたことがある。真っ暗闇の空間の中に簡単な迷路（順路）をつくり、来場者にはまったく視覚を奪われた状態で何とか出口にたどり着いてもらうという企画だ。途中には軽飲食のコーナーも在ったようだ。
  
視覚を遮断して、聴覚、触覚、嗅覚、味覚だけで課題をクリアするのだが、ルールがひとつだけあって、グループでの纏まった参加は禁止される。連れ立ってきた人はばらばらにされて時間差で入場する。つまり自分の近辺は見ず知らずの人ばかりという状態である。
  
手探りで壁を伝い、前後の人の気配を窺い、声を掛け合って出口を目指すのだが、このような状況下では、すごい速さでコミュニケーションが進むらしい。すぐに前後何人かで手を繋ぎあって協力するようになる。顔も見えない同士が自己紹介まで済ませて、ゴールに至る頃には幾つもの濃密なグループが生まれるとのことだった。
  
ヨーロッパでは数年前から「暗闇レストラン｣なるものがあるらしいが、最近日本でも聞くようになった。私も一度トライしてみたいと思う。
  
聴覚の入り口から入ったが、出口では視覚と味覚になってしまったようだ。 
　　
　
＝ ピー･オー･ピー「見本市展示会通信」’０９年２月１日号掲載 ＝
　
展示会コミュニケーションサイト 「展コミ」
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         <link>http://www.murayama.co.jp/blog/2009/07/post_50.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">想う、感じる、伝える。</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 27 Jul 2009 00:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>想う、感じる、伝える。－⑦</title>
         <description><![CDATA[－視覚－
　
西洋には古くから、視覚と聴覚は五感のなかでも優れているという考えがあって、それは対象から離れても成立するからだというようなことがネット上に在った。
　
五感の優劣を議論する気はないが、確かに視覚や聴覚は実体感の場を離れても記憶に残りやすく、またそれを表現したり伝えたりする手段が多くある。なかでも視覚は一番確実性の高い感覚と思われる。が、これが意外と当てにならない。実は人はかなりいい加減に物を見たり記憶したりしているのではないか。
　
オフィスの窓からの見慣れた町並み。毎日見続けて目に焼き付いているはずが、ある日突然この一角が再開発で取り壊される。すると昨日までの風景が明瞭に思い出せなくて戸惑う。こんな経験は皆さんもないでしょうか。
　
興味や、思い入れ、集中力などによって見え方も大きく異なってくる。
　
逃がした魚が大きいのは誰でも共通のようだが、ある事件の目撃者の一人は「犯人は赤い服を着ていた」と言い、別の一人は「いや青い服だった」なんてことは良くある。
　
さらには、感情移入と時の経過によって変質する。
　
二人で並んで見る日本海に沈む夕日。その瞬間は互いに美しいと思っても、片や、今隣に居るご主人とは違う昔の恋人と散歩した夕焼けの浜辺を思い出して、ひとり気まずい思いになる人もあれば、片やこの夕間詰めの絶好の潮時になぜ釣竿を持っていないのだろうと悔やむ人もいる。
　
時が経って、たまたま二人がこの夕日の話題に及んでも、美しい夕日の風景ではなく「昔の恋人」と、「大きな獲物」…互いにイメージはバラバラ。本当のところではかみ合っていない。 
　　
　
＝ ピー･オー･ピー「見本市展示会通信」’０９年１月１日号掲載 ＝
　
展示会コミュニケーションサイト 「展コミ」
<a href="http://www.eventbiz.net/">http://www.eventbiz.net/</a>　
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         <link>http://www.murayama.co.jp/blog/2009/07/post_49.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">想う、感じる、伝える。</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 06 Jul 2009 00:00:00 +0900</pubDate>
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