
養老 孟司さんの「まともバカ―目は脳の出店」
面白く拝見しました。
基本的には、ベストセラー「バカの壁」のトーンと同じなのですが、
前半部分で、建築士と建築を取り上げて
説明する部分がありました。
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設計図を引いて、その通りに建物をつくる。
建物はどこにあったかというと、
そもそもの始まりは人間の脳の中にあったということになります。
そうすると、われわれが座っているこの空間というのは、
実は、設計した人の脳の中だ。
という比喩を持ってきてもいいわけです。
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この文章だけを引っ張り出してくると、
もしかしたら、誤解を招くかもしれません。
あくまでも、
建築士とは、こうあるべきだ。
ということを、述べているのではなく、
人間が認識している“現実”は、“全て脳が解釈していること”である。
ということのメタファーです。
基本的には、「マルコビッチの穴」のような
世界感をイメージさせたかったのだと解釈しています。
また、
人の脳は、全て人間の考えるようになる。
もしくは、考えられることしか認めない。
という方向にどんどん進んでいく。
という“脳化社会”の功罪について言及しています。
これについて、
私はこのように解釈しました。
“現実”というのは、2つ。
「自然」と「意識」。
言い換えると
「自然」と「人工」。
ミクロに考えると、
「身体」と「脳」。
哲学的に言うと、
「パトス」と「ロゴス」。
後者は、思うままにコントロール可能。
前者は、そうはいかない。
ただし、対立するものではなく、
あくまでも、一体であり、不可分。
アスリートのように、自然としての
自分のカラダを徹底的に使ってみたり。
アソビとして、自然と対峙してみたり、
・・・サーフィンとか、スキーとか、
ハンググライダーとか、釣りや猟。
イキモノを育てたり、飼ってみたり。
これらの体験によって、“全て人間の考えるようになる。なんて嘘”
であること。
“思い通りにならないことのほうが、かえって多い”
というあたりまえのことを、正しく理解することができると思います。
現代社会に暮らす私たちにとって、
こういったシンプルな理を、正確に理解することが、
非常に大切なことなのだと、改めて感じた次第です。
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