昔、アイドルが
「目と目で通じ合う、そういう仲になりたいわ~。」
と、唄っていたことがあるけれど、
私は、全く、そうなりたいとは思いません。
抽象的なイメージを、なんとなく共有する関係であるのなら、
それでも構いません。
というか、悪くないカンケイ。といえるでしょう。
だけど、一緒に何か具体的なことをするというコトが発生した時点で、
そうは、言ってられなくなってくるのです。
目と目で“通じ合ってるつもり”の関係なんて、無意味。
目と目で“通じあってると勘違いしてる”なんて、ナンセンス。
になってしまいます。
お互いの生まれ育った環境や、経験から変わってくる “常識”
ボキャブラリーの量と質。
ちょっとした、もしくは、決定的なニュアンスの違い。
言い回しもなかなか、難しいですね。
例えば
「昔、アイドルが・・・」
って言うのと
「昔のアイドルが・・・」
って言うのは、決定的かつ暴力的に異なる。
たったの“、”と“の”の違いですよ。
でも、伝わることは明らかに異なってきます。
また、コトバを交わす分母として、
親しい感情や、共感がなければ、
コトバ自体の意味がなくなってきます。
ラポール。(rapport)がなければ、言葉は上っすべるだけ。
と、友人に教えていただきました。
話をするときに、人の目を見るのは
“動物として当たり前”のことです。
力のある、イクォール気持ちのこもったコトバを
適切に発することは、
“人間として当たり前”のことなのです。
ラポールがあるのなら、
言うことと同じくらい、言わないこと。
も大切だということすら、あり得ます。
コトバって、大切です。
凶器にもなるし、
心が温ったたかくもなるし、
救われるし、
涙するし、
ハッとするし、
ドキッとするし、
ほっとするし、
いいな。って思うことがあるし、
愛するきっかけにもなりうる。
言の葉。
言霊。
うつくしいコトバ。
コトバを発するときにも、クリエイターでありたいなぁ~と思います。
仲の良いヒトと、ボキャブラリーを、もっともっと共有化したいです。
そうそう、最近、コトバって、本当に、
大切だなぁ、と、痛切に、思って、いるのです。
句読点多すぎ。笑)
まだまだ、精進が必要です。
Presented by“すみ”