東日本大震災後の日本を「維新」
になぞらえる人が多いように感じます。
もしくは、ルネサンスとか、バウハウスとか。
デザインでは無く、社会の動きとしてのね。
バブルが崩壊して、新しいパラダイムがやってくるとか、
第三の波とか言ってた頃にも感じたうねりにも似た。
それだけ3.11と、それ以降のインパクトは大きい。
というコトなのだと思います。
日本は変わらなくっちゃ。と思う人が
随分多くなってきてるんだろうなぁ。
と、思うわけです。
以前、
「和をもって尊しとする国の人が、スペインで仕事をするということ。」
というタイトルで、記事を書いたことがあります。
この時の記事を、村上龍さんのエッセイを中心にざっくりとまとめると、
アメリカと、西ヨーロッパ先進国に於いては、
個人でも、国家でも、関係性の基本は“対立”にあるといわれる。
日本社会で“対立”とは、喧嘩とか仲違いと誤解されやすい。
“対立”が関係性のベースという意味は、
私とあなたは違う人間だから、意見の違いがあるのが当たり前だ。
と、いうことで、別に喧嘩腰になることではない。
日本社会では、集団内における個人の均一性が重要視され、
個人は集団に溶け込むことを要求されるところがあるので、
関係性における“対立”という概念が希薄だ。
というコトになるのだけれど、
今の日本が置かれている状況というのは、
関係性における”対立”。
とか、自らの意思。
その分母に位置する「同感」と「共感」
といったヒトとヒトとの関係性の変化が起こっている。
と言い換えることもできると思います。
原子力発電所事故の由々しい問題は、もはや
日本国内だけの問題ではすまないですからね。
閑話休題。
今どきの中学の授業では、DEBATEの授業。
というカリキュラムがあるそうです。
あきらかにコミュニケーションの質。
に、変化が起こっていると思うのです。
ネットの世界では、少し前に爆発的に流行ったBlogから、
Twitterやfacebookに趨勢は移ってます。
これらは、携帯電話やスマートフォンからでも
記事をアップするのに苦痛ではない手軽さがあります。
また、文字制限やTLと言ったスキーム故のスピード感。
ある程度の言い捨てが許される。
というのも、ミソなのかもしれません。
それ故に、個人情報に関するモラルが
問題になることもありますけれど。苦笑)
Blogに対して、
Twitterは会話そのもの。
と言うのは言いすぎ?かも知れませんが、
教育においても、自分の意見を
明確にすることが求められる状況にある上に、
次の瞬間に、何か大変なことが起こるかも知れない。
そして、意外とそんな可能性は低くない。
というコトに気づいた私たちが、
どちらのコミュニケーションを選択するか?
と、考えると日記よりも会話をチョイスする。って言うのは
まぁ、必然なのかも知れない。
と思う今日この頃であります。
Posted by“すみ”